狭山丘陵センターエリア(荒幡富士)吟行句会報告

狭山丘陵は、埼玉県と東京都にまたがる独立した丘陵地で、市街地の中に浮かぶ「緑の島」のように残された首都圏を代表する重要な自然環境です。ここに作られた施設は「狭山丘陵生き物ふれあいの里」です。

「センターエリア」の他、八国山から多摩湖、狭山湖にいたる地域で、「水鳥の楽園」「虫たちの森」「湿生植物の里」「雑木の森」「蝶の森」の5スポットがあります。

今回、〈10月23日〉所沢鍛錬句会が吟行を行ったセンターエリアは、西武狭山線下山口駅から15分程の丘陵地の森林にあり、鳥類、動物などの剝製が多数展示された学習施設、句会場とした会議室があり、隣接して荒幡富士(富士塚)、浅間神社があります。荒幡富士の吟行句を紹介します。

荒幡富士(富士塚)を詠む

 富士塚より富士をはるかに櫟の実  山口昌志

 遠富士の襞きはやかに鵙日和          河瀬俊彦

 頂は人をこぼさじ薄紅葉                 松代忠博

 きちきちは荒幡富士を飛ぶ構へ   半田卓郎

荒幡富士(所沢)

荒幡富士登山口(浅間神社)

荒幡富士 頂上の社と方位の図

東京のベッドタウン・所沢にあり、明治32年に富士信仰によって築かれた人工の山で、麓からの高さは11mです。山頂からは本物の富士山をはじめ、西武ドームが目の前に見えます。富士塚は2~3mのものが多く、この高さのものは珍しく「東京付近随一の傑作」と称されています。

明治政府の意図した、神社合祀による村民の民心統一のために村民たちの手により、明治17年から延べ1万人が参加して行なわれました。もつこ(持籠)に土をいれてバケツリレーのように運び笊に土を入れて積み上げ、すべては村民たちの手作業で行われました。およそ15年の歳月をかけて、高さ11メートルに自らの手で完成しました。大正12年、関東大震災で8合目まで崩れましたが、2年がかりで修復されました。

明治の文豪、大町桂月は、何度となくこの地を訪れ、この眺望を褒め称えたとのことです。大正10年3月には、大町桂月の撰文で「荒幡新富士築山の碑」が建てられています。

 八州の我に朝する青葉かな 桂月

戦後は一時荒れるに任せた状態になったこともありました。しかし、その都度住民が総出で復興にあたり、原形の保存に努めてきました。平成23年(2011年)の東日本大震災後も一部修復が行われました。現在は地域住民の皆さんが結成した「荒幡富士保存会」により、定期的に大掃除やパトロールなどが実施されています。

                 完(文責;半田卓郎)

俳句総合誌掲載

〇「俳句界」(文學の森)

2021年12月号 新作巻頭3句   

河瀬俊彦

 二十四の瞳のあそぶ冬の浜

 釣り上げし河豚はたちまち太鼓腹

 冬凪の港へもどる大漁旗

   

〇「俳句」(角川文化振興財団)

2021年12月号 作品8句

川口 襄  「望郷」

 望郷のエンドロールの桐一葉

 水の秋河童は皿を洗ひをり

 生意気な臀をしてゐる水蜜桃

 月影の木犀は香を争はず

 秋爽の波たぶたぶとたらひ舟

 嶺の鷹確と虚空を睥睨す

 沼底を見てきた貌のかいつぶり

 軒氷柱満天の星閉ぢ込めて

   

〇「俳句」(角川文化振興財団)

2021年12月号  令和俳壇12月

井上康明 選 

推薦  河瀬俊彦

 雨乞や島に大きな日蓮像  

佐渡島の日蓮像は、日蓮像としては世界最大だという。干天が続いて、雨乞いの神社の神主が雨乞いをすることになった。懸命な祈りは神にとどくだろうか。島には巨大な日蓮像があるので、功徳の雨が期待できるだろう。