爽樹インターネット句会
第66回  鑑賞・選評    1月

爽樹俳句会 顧問 半田卓郎

2年に及ぶコロナ禍は、昨年秋以降諸外国に比べて我が国の感染状況は幸い収まりつつあり句会活動は、マスクを着用し換気など感染防止に十分留意しつつ開催してきております。
しかしながら、特に年明け以降オミクロン株という変異株による感染拡大が懸念されており、今後慎重に対応する必要があります。
感染の恐れのない、ネット句会、ネットによる講座などの関心は増加し応用は進んで来ております。
当月の兼題は、柚子湯と松の内でした。類想の生じやすい季語なので注意が肝要で特異性を出せる工夫が必要とされます。

兼題 :   柚子湯 松の内 当季雑詠

特選 4 句

十字架の苦難は見えずクリスマス

泡沫 ( 1 )

 ィエスは十字架を背負って刑場のあるゴルゴダの丘までの道のりを歩いたとされている。その道中で味わったイエスの苦難を偲んで十字架の道行きはエルサレムだけでなくキリスト教の世界の各地で行われている。信仰からほど遠いのが我が国のクリスマスの実態である

クリスマスはケーキを食べる日、サンタさんが贈り物を持ってきてくれる日。日本のクリスマス事情を上手く表現している。 ( 写心 )

ひとごゑの弾む市場や年用意

葫蘆 ( 2 )

師走の商店街特にアメ横のような市場は、カニ、エビ、マグロなどの海産物のほか、かまぼこや数の子といったお正月用品の売り出しでごった返す。混雑ぶりはテレビで放映される。売り子の声がにぎやかであり、活気のある市場を描写している。この句は、コロナ禍で沈滞していたムードを払拭したい期待感がある。

アメ横か築地場外市場か、年用意の買い物でコロナでなければ、ごったがえす現場。新年を迎える喜びからか売り手も買い手も声が弾んでいるのである。「ひとごゑの弾む」の措辞が秀逸である。 ( 泡沫 )

TVを見てるとアメ横に十分では無いものの活気が戻ってきたと言ってました。 ( みのり )

振袖もマスク姿の松の内

一陽 ( 2 )

 コロナ禍の為現在はマスクは必須である。松の内、振袖の妙齢の美人もマスク姿である。日本は諸外国に比べて感染が少ないのは、マスクを必ずつけることが一つの原因であろうと言われている。現在の世相を切り取った一句である。 本来マスクは、風邪の予防などの本意から冬の季語であるが、最近のコロナ禍の状況では季節に関係なく感染症予防で使用している実態であり季語と見なさない。

コロナは収束せず、今年もマスクの日々が続くのでしょうか。 ( 夜来香 )

現代の世相を反映している。マスクなしの振袖姿を見たいですね。 ( 一歩 )

炊煙の絶えて鎮もる除夜の里

愚者 ( 2 )

大晦日の夜の里は、仕事も、家事もすべて終えて年の明けるのを待っている。家々は静まり返っている。大晦日の夜遅く郷里に帰って来た作者は、深刻な事情を抱えているのであろう。何も言っていないが色々想像させる一句である。

秀逸選 8 句

父と子の柚子に戯る湯浴みかな

夜来香 ( 1 )

柚子湯に入る父と子の楽し気な様子を詠んでいる微笑ましい一句である。中七の措辞が良い。

ひと昔前の記憶であろうか、または息子と孫の湯浴みの想像だろうか、いずれにせよ柚子湯の父子の情景の懐かしさに説得力がある。 ( 写心 )

九九唱へ猫と宿題掘炬燵

夜来香 ( 2 )

堀炬燵で勉強する子供と炬燵の周りの猫の様子を詠まれた。勉強の傍ら子は猫に気を取られているのであろう。

小学一年生の孫が、九九の宿題を掘り炬燵でやっている。 猫と一緒に。それを見詰める微笑ましい情景。 ( 写心 )

微笑ましい景が目に浮かぶ様です。 ( 一歩 )

音もなき夜雨の気配冬至風呂

山水 ( 3 )

冬至湯とも柚子湯とも言い、風邪をひかずに冬を過ごせるという俗説がある。折から夜雨の気配の寒々とした夜である。

夜更けに柚子湯に寛いでいると音もなく雨の気配が。 ( 夜来香 )

柚の香の満つる湯船や一日終ふ

葫蘆 ( 1 )

風呂場の湯舟に柚子の香がするのは気持ちの良いものである。下五の「一日終ふ」という措辞にしみじみとした充実感が籠められている。

年暮るや谷根千といふ古き街

山水 ( 4 )

「谷根千」は、谷中・根津・千駄木の東京の下町の情緒が残るエリアである。谷中には多くの明治の元勲をはじめ著名人の墓があり、著名な寺院、活気ある谷中銀座商店街、和菓子や雑貨の店などが集まっている。根津神社をはじめ風情のあるエリアであり、明治・大正・昭和の香の残る 街で、まさに下五の「古き街」の措辞のとおりである。

三つの地名(谷中・根津・千駄木)のエリア(下町風情の地域)を称する「谷根千」が俳句の世界でも通用する言葉なのか疑問だが、上手くイメージを使った。 ( 泡沫 )

昭和の下町風情を今に残す谷中・根岸・千駄木の商店街。 ( 夜来香 )

日本の古き歴史のかおりがする様です。 ( 一歩 )

古き街に年が暮れてゆく。情感のある句でいただきました。 ( 葫蘆 )

祖母からの押絵羽子板かなの文

一歩 ( 2 )

 祖母から送られた,羽子板と手紙などを正月に因みだしてみて祖母を偲んでおられるのであろう。

下五の「かなの文」に祖母が孫娘の初正月を祝う感じがにじんん出て良いとおもいます。 ( みのり )

蒼穹の赤き鳥居や小六月

山水 ( 0 )

 根津神社には伏見稲荷を思いだす朱色の千本鳥居がある。小春日和の澄んだ青空に映える赤い鳥居の景が美しく、気も晴れ晴れとする。

残り具で茶漬けがよろし松七日

写心 ( 2 )

正月料理に飽きた頃である、残り具でのあっさりと茶漬けでよいと率直な気持ちを詠まれて共感する。

共感する景ですね。 ( 一歩 )

おせちなんか残りますね。お茶漬け試してみます。 ( 霧島 )

選者のワンポイントアドバイス

   原句  七十路にわが手見つめつ柚子湯かな
   中七の「わが手みつめつ」に関して、
   1)助動詞「つ」とすると、下二段活用で、終止形は「つ」、連体形は「つる」で、
    動作の完了をいう。→ わが手見つめつる柚子湯かな(中八となり、語呂が悪い)
    「かな」を使用しない場合:下五「冬至風呂」として終止形「つ」で切れる形でどうか?
    添削例1 七十路にわが手見つめつ冬至風呂
   2)助詞「つ」とすると、格助詞(「の」の関係で結ぶ、または接続助詞である)
   動作の並行、継続を表す(例えば、・・つ、・・つ)
   句意からは、完了より継続のようで、助動詞「たり」が意味としてはよいが、連体形
   「たる」では、字余りとなる。
   口語「見詰める」の文語動詞「みつ・む」(下二段活用)を使用してみてはどうか?
    添削例2  七十路にわが手見つむる柚子湯かな

   

互選句 14 句

開くたび門松ゆれる自動ドア

一陽 ( 1 )

確かにありそうな情景だ。風圧の関係か、自動ドアが開くと風が起こり門松が揺れる。作者の気付きは素晴らしい。自動ドアが主役のような句の形ではあるが。 ( 泡沫 )

ぷかぷかと揺れて庭の実柚の湯に

鈴音 ( 1 )

庭の柚子を柚子湯になんて、羨ましい。 ( 霧島 )

今はまだ途切れぬ日記松の内

夜来香 ( 1 )

妻の入る柚湯に柚子を二つ足し

霧島 ( 2 )

明るいうちの入浴なのでしょう。艶めいた感じがいいです。 ( 一陽 )

多分作者は柚子湯を堪能し風呂からあがった後妻のために新しい柚子を放り込んだのかと思いますが何故2つなのですか?来年の参考のためご教授いただきたく。 ( みのり )

朝風呂の桶にお銚子松の内

霧島 ( 1 )

まだ抜けぬ正月気分。 ( 夜来香 )

けふもまた静かなる日や松の内

泡沫 ( 1 )

残る日を数へつつ入る柚子湯かな

泡沫 ( 3 )

柚子湯にゆったりとつかりながら一年を振り返る。 ( 夜来香 )

融通の利かぬ男や冬至風呂

みのり ( 2 )

融通が利かないのは作者でしょうか?それとも奥様のつぶやき俳句でしょうか? ( 一陽 )

どなたのことでしょうね?冬至風呂に入って少しは柔らかくなったでしょうか。 ( 霧島 )

冬薔薇質問の出ぬ説明会

みのり ( 1 )

なんの説明会かわかりませんが、、。寒い部屋のなかで白けた説明会。更に寒々と。 ( 一陽 )

七十路に我が手みつめつ柚子湯かな

一歩 ( 3 )

見つめつ(見詰めつつの省略と言う説明か、手を見詰めたり、湯に浸かったりの省略と言う説明か)が文法的にどうかの心配があるが、内容的に自分の来し方を振り返って来年に向けて意を決しているような心情が伝わる。 ( 泡沫 )

手を見つめつつ何を思うのでしょうか。余韻の残る句でいただきました。 ( 葫蘆 )

隣家よりカレーの匂い松の内

一歩 ( 2 )

正月も3日を過ぎると、お節料理にも飽きて。お隣さんも 同じなのであろうカレーの匂い。 ( 写心 )

もう、お節にも飽きてどこからかカレーの香り。インドの方が引っ越してきたわけではないでしょうね。 ( 一陽 )

出勤は休日ダイヤ松の内

葫蘆 ( 2 )

私は出勤なのに街はまだ松の内。 ( 一陽 )

正月も働いている人がいるから私たちは楽しむ事が出来ますね。 ( 霧島 )

艶めける妻の襟足冬至風呂

愚者 ( 2 )

一緒に入浴。長い夫婦生活の中でいろいろあっただろうが今でも妻を愛しているという宣言。私には作れない句で羨ましい。 ( 泡沫 )

当たり前の日常が、柚子の香りと共に、身近の大切なひとを見つめ直せる、冬至風呂の温もりに包まれる様です。 ( 一歩 )

千鳥足も虎も許せよ松の内

愚者 ( 1 )

三が日過ぎ、馴染みの飲み屋も開店。久し振りに顔馴染みと逢ってつい飲み過ぎ。大虎は戴けないが、千鳥足ぐらいはご勘弁。 ( 写心 )