爽樹インターネット句会
第65回 鑑賞・選評 12月
爽樹俳句会 顧問 半田卓郎
年初から、コロナ禍に振り回された1年でしたが最近は幸い感染者が減少し日常を取り戻しつつあり、通常句会、吟行句会なども夏以降実施できるようになりました。しかしながらアフリカ原産のウイルス新変異株(オミクロン株)が最近世界各地で蔓延の兆候があり年末に向けて第6波の感染増が危惧されます。
今月の兼題は、芭蕉忌と浮寝鳥です。忌日俳句は、季節感が薄い場合は他の季語と組み合わせて使用されます。その場合でも重季語とはなりません。忌日を詠むことは空間描写の多い俳句に、時間的な深みを与える効果があります。特に芭蕉忌はそれぞれ思いの深い季語とおもいます。浮寝鳥は水鳥が水に浮いたまま眠る姿に由来します。歌人たちは恋の独り寝の心もとなさを歌に詠みました。
兼題 : 浮寝鳥 芭蕉忌 当季雑詠
特選 4 句
浮寝鳥日の燦燦と二重橋
泡沫 ( 0 )
馬場先門からまっすぐ皇居へ向かうと二重橋がある。お濠の向こうは旧江戸城西の丸で、現在は皇居で一般人が渡ることはできない。桜田濠から直接つながるお濠には2本の橋がかかってぃる。 お濠の浮寝鳥とさんさんと日の当たる小春の二重橋は静かで厳かな景で、特に浮寝鳥と二重橋の取り合わせが良い。
冬来る栗鼠をちこちへ忙しげに
写心 ( 2 )
木立では栗鼠が冬に備えて木の実の食べ物をどこかに隠しているのか,ふさふさの尻尾をせわしいなく動かして木から木へと素早く走り回る。みちのく廻りで古刹を廻った初冬の景を懐かしく思い出す句である。
年末忙しいのは人間だけではないようです。 ( 一陽 )
木の実を口一杯に頬張る栗鼠の顔を思い浮かべます ( 霧島 )
芭蕉忌に股引き知らぬ我が生徒
鈴音 ( 1 )
松島で、芭蕉は「松島の月を仰ぎ、股引の破れをつづり、笠の紐付けをして、三里の灸をして凌いだ」と「奥の細道」に記載している。 芭蕉と曾良の二人旅で、当時としては高齢で、病気を抱えた芭蕉の旅は過酷な旅であった。こういう話をしても、生徒たちには、「それ何?」と股引が理解できないのも時代の違いで面白い。
ラクダ色の股引今は見かけません。子供の頃を思い出します。 ( 霧島 )
芭蕉忌や家鶏は鷹を仰ぐのみ
写心 ( 2 )
渥美半島の伊良湖岬は鷹の集まるところである。「鷹一つ見付てうれしいらご埼(さき)」という著名な芭蕉の句(底本・乙州本による)は、藩領を追放されてこの地に隠れ住んでいた弟子の杜国を芭蕉が尋ねた時に再会した喜びを詠んだものとされている。 杜国は米商人をしていたが、空米売買にからんで罪を負い、処刑された。資料では不当な処刑であったようである。当時の幕府は綱吉の時代で過酷な政治情勢であった。(歴史書をよむと綱吉は、相当強引な政治手法であった)掲句は、隠れ住んでいた杜国を家鶏(かけい)と見なして、時の権力にはいかんともなしえない無念の気持ちを詠まれていると鑑賞した。
秀逸選 7 句
陽だまりはゆりかごのごと浮寝鳥
一歩 ( 1 )
小春の穏やかな流れの陽溜りはあたたかく水に身を任せる浮寝鳥は、まるでゆりかごに揺られているようである。
本当に小春日和に絵になる光景です。 ( 鈴音 )
湯豆腐や傘のすれ合ふ先斗町
霧島 ( 0 )
北斗町(ぽんとちょう)は京都市中京区で、鴨川と木屋町通の間にある花街及び歓楽街である。「町」と付くが地名としての先斗町はない。鴨川寄りに面したお茶屋・料亭・レストラン・バー等は納涼床を設ける店舗も多数存在していて、傘のすれ合うという表現がにあう歓楽街である。京都は伝統的な豆腐料理が著名である。
松原の木陰に曾良や浮寝鳥
霧島 ( 1 )
奥の細道は芭蕉と曾良の二人旅であったが、途中山中温泉で曾良は腹痛で静養が必要になり別れて一人旅となり、回復し、芭蕉に大垣で追いつき再会した。120日間4ケ月の旅で、芭蕉の秘書役として盡した。掲句は、一人旅となり静養中の,曾良の心境を詠んだのであろう。 静養に入る曾良の詠んだ句 行き行きて倒れ伏すとも萩の原 芭蕉に尽くす並々ならぬ心境が読取れる一句である。
このような場面はあったかもしれない。おくのほそ道の1泊目は春日部(曾良日記にあり定説)。舟で越谷辺りまで来たという。 ( 泡沫 )
芭蕉忌や訪ふ人もなき終焉碑
みのり ( 1 )
「芭蕉は旅に俳諧を作り旅に死す」と称し、享年51でなくなった。亡骸は大津の義仲寺、終焉碑は難波別院の前、御堂筋の緑地帯にある。(現役時代私の勤務先の大阪支店の近くであった)作者は、訪れる人もいないことに寂しい思いをしている。
大阪の終焉碑。中七に情が滲む。 ( 泡沫 )
みちのくに想ふ郷あり芭蕉の忌
一歩 ( 0 )
芭蕉の旅のあとをたどることで立ち上がってくる「風雅の魔神」があるといわれる。芭蕉が句を詠んだ現場にたち芭蕉の「目」を借りて光と風を掬いとるのである。奥の細道を回ることは、まさに感動の連続である。 私は、昭和31年から数年間山形県酒田市に会社勤務で住んだ。のちに3度ほど奥の細道紀行で訪れた出羽三山、最上川と合わせてまさに「想ふ郷」である。
残生は当てなき枯野翁の忌
愚者 ( 4 )
残生(ざんせい)は、残り少ない人生の意味、当ては、見込みや目標のことである。季語の枯野の本意は、夕日を浴びて輝く枯野は、侘しい中にも華やぎを感じさせるものである。翁の忌に因み残生は枯野の華やぎを目指すべきであろう。 芭蕉句;旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 虚子句:遠山に日の当たりたる枯野かな
残りの人生を目前にして、当てのない枯野に茫然としている。そういえば今日は翁の忌。芭蕉は病んでなお夢が枯野を駈け巡っていたのだ・ ( 写心 )
芭蕉の常に旅人の心情がよく表れている。作者も同じようにしたいと願っている。 ( 泡沫 )
夢は枯れ野をかけめぐり、今なお続けているのでしょう。 ( 鈴音 )
友の葬雪の臨時の同窓会
一陽 ( 0 )
友人の葬儀に、同窓生が幾人か顔を合わせた。久しぶりに集まり臨時の同窓会のような会合となった。雪模様ではあるが、亡き友の引き合わせであろう。皆元気で語り合うのはうれしいことである。
選者のワンポイントアドバイス
大原女の頭上の薪に舞ふ落葉
落葉とは地面に落ちている葉のことを指す言葉なので、葉が枯れている・枯れていないに関係なく落ちて
いればそれは落葉と言える。
次に枯葉とは枯れている葉のことを指す言葉なので、葉が枯れてさえいれば地面に落ちていても、木に生
えたままでもそれは枯葉と言える(歳時記参照)
掲句では、状況からみて枯葉が適当のようある。
帰り道夕餉待つ子や小夜時雨
三段切れなので句の情景がわかりにくい。三段切れは避けた方がよい。季語は小夜時雨なので、帰り道に
雨が降っている景であろう。
参考例 子の夕餉買ひたる帰路や小夜時雨
互選句 13 句
芭蕉忌に時雨煮食ふも粋のうち
一陽 ( 1 )
芭蕉忌に時雨煮で一献ですか。 ( 霧島 )
駄句あまた寝床に浮かぶ今朝の冬
夜来香 ( 1 )
夢の続きか?朝起きる直前に句が浮かぶことがありますね。すぐメモしないと、、。 ( 一陽 )
帰り道夕餉待つ子や小夜時雨
鈴音 ( 1 )
思いがけず仕事で帰りが遅くなってしまった。お腹のすいた子供達が寂しがっているだろうな。母子家庭の母親の気持ちが汲みとれる。 ( 写心 )
芭蕉忌や湖南の風の穏やかに
山水 ( 1 )
番匠のフライトキャップ寒日和
みのり ( 1 )
年季の入った棟梁が黒に金糸の入ったフライトキャプを小粋にかぶって、そろそろ仕事仕舞いの年末ですか? ( 一陽 )
レギュラーになれず三年浮寝鳥
みのり ( 2 )
自虐ネタと浮寝鳥。眼前の浮寝鳥から高校時代を振り返ったのであろうか。 「となれぬ」がいいか。 ( 泡沫 )
初めて挫折を味わった青春。野球部員だったんでしょうか? ( 一陽 )
芭蕉忌に芭蕉の像の千住向く
霧島 ( 1 )
隅田川の芭蕉庵には芭蕉の銅像があって動くんですよ。 ( 一陽 )
憂きことは水に流して浮寝鳥
愚者 ( 1 )
憂きことと浮寝鳥のukiukiのつながりが調子よい。 ( 泡沫 )
芭蕉忌やどこへ旅立つちぎれ雲
葫蘆 ( 2 )
芭蕉の生涯は常に旅の空にあった。詩情を求めて彷徨う千切れ雲のような旅であった。 ( 写心 )
片雲の風にさそはれて…天上でも旅を続けていることでしょう。 ( 鈴音 )
立冬の湖青天の逆さ富士
葫蘆 ( 3 )
富士は誰もが読むので難しいが、意表をついて逆さ富士を詠んでいる。冴える空、鏡面の湖、大きな景が佳い。。 ( 写心 )
本栖湖、田貫湖の逆さ富士を思い出します。 ( 霧島 )
本当に美しい。キリッとした空気も感じます。 ( 鈴音 )
やわらかな陽ざしに冬芽濃紫
一歩 ( 1 )
凩は詩仙の言葉翁の日
泡沫 ( 2 )
芭蕉の句は命の詩である。読むたびに木枯しを全身に浴びたように身が引き締まるのだ。 ( 写心 )
東京の高層ビルや冬がすみ
泡沫 ( 1 )
早朝の出勤の身で、都会も絵になると感じます。 ( 鈴音 )