爽樹インターネット句会
第59回  鑑賞・選評    6月

爽樹俳句会 顧問 半田卓郎

コロナ禍の生活は既に1年3ヶ月となりました。頼みの綱のワクチン接種は7月を目標に漸く進みつつありますので、米国や英国のように感染が終息に向かうことを期待したいと思います。
在宅で句会参加出来るネット句会は、文字通り感染問題がないことの他、高齢化社会特有の問題(例えば、歩行問題、難聴など)の解決策となる特徴があり、コロナ禍以来増加しております。
当会もパソコン利用者ばかりで無く、スマホでの参加者もおられます。又同居の若い人にパソコンでプリントアウト等支援して貰い参加される方もおられます。又希望者とのリモート検討会も開催しておりますが、スマホで参加される方もおられます。

兼題 :   鮎 桐の花 当季雑詠

特選 3 句

嫋やかな畝傍の緑神さぶる

山水 ( 4 )

畝傍山は、奈良盆地にあり万葉集の中で瑞山(みずやま)と呼ばれ大和三山の一つとして国の名勝指定されている。田の畝のようにくねくねした尾根を多く持つことから名付けられ又古代では火山と認識され「畝火の山」と言われた。みずみずしい緑の初夏の畝傍山は、嫋やかなと言う表現がふさわしい。 大和三山には70の神社があったと言う、この畝傍には神武天皇他2天皇の山陵がありこの上なく神々しい雰囲気に感動する一句である。

畝傍山は初心者にも登山が可能な優しい山であるらしい。神の住むこの山の麓には神武天皇陵がある。 ( 夜来香 )

新緑に囲まれた神武天皇陵あたりの神々しい雰囲気です。 ( 霧島 )

神々しい尾根の景、難しい表現が幾つもあって、やっと句意が理解できた時、その景が夢のように見えてきた。 ( 一歩 )

いきいきと焼かれてをりぬ串の鮎

泡沫 ( 0 )

今月の兼題の「鮎」は、清涼感があり初夏の代表的な食材であり、いろいろな角度から詠まれた句が投句された。いろいろな食べ方があるが、鮎は塩焼きが最上である。 まるで生きているような新鮮な鮎の独特の香気が伝わるような一句である。店先で焼かれる鮎を 待つ人のの思ひも伝わる一句である。

単身の灯のなき社宅桐の花

愚者 ( 1 )

単身赴任者は、誰もいない社宅、灯の消えた社宅に会社から帰宅する。寂しい気持ちを慰め るのが、庭に咲く紫色で、気品のある「桐の花」である。この取り合わせがこの句の眼目である。 世に「サラリーマン俳句」という分類に含まれる句である。昨年の俳人協会賞受賞「鷹」主宰小川軽舟句集「朝晩」がそれである。銀行員の同氏が東京から大阪へ単身赴任した日常を詠まれている。俳句は日常を詠むものであるから単身赴任の現実や、サラリーマンの生き方は、俗な生活であるが、俗になる俳句を恐れずに俳句に挑戦したことは素晴らしい。

単身赴任時代を思い出しました。帰宅時の侘しい気持ちと、季語「桐の花」が響きあっているのか多少疑問ですが・・・。 ( 悠々 )

秀逸選 7 句

鮎を待ち瀬のそちこちに釣りの友

夜来香 ( 0 )

人と連れ立ち鮎釣りに出かけたのであろう。川の流れに沿い思い思いの場所で、竿をおろしている。他の友人の釣果も気になるが、せせらぎの清涼感の中楽しいひと時の思い出である。

機上より真澄の空の五月富士

夜来香 ( 3 )

機上から富士山が見えると窓際に寄りたくなるが乗務員に注意される。真っ青に晴れた空に卒然と富士山の姿が現れるのは至福な一瞬である。

真澄の空の表現が、爽やかな五月の空気の中へと誘ってくれるようです。 ( 一歩 )

上空からの澄み渡った五月の富士が見え、いただきました。 ( 葫蘆 )

吉野川瀬音清しき鮎の宿

一歩 ( 4 )

奈良県南部を流れる吉野川の周辺には金峯山寺を中心とした社寺や桜の花の名所が多い。吉野川は、大きな川であり多くの釣り人で賑わう。せせらぎの聞こえる宿の名物の鮎料理を堪能する楽しい一時を詠まれた。

清流の瀬音を聞きながら、好物の鮎料理をいただく夕べ、まさに至福の一刻である。  ( 写心 )

吉野の鮎といえば万葉集にも詠われ、「桜鮎」とも称せられる美味。 ( 夜来香 )

吉野川の瀬流の音が聞こえてきそうであり、吉野川の鮎美味しそうです。 ( 霧島 )

黎明の躍る蓑笠鮎解禁

愚者 ( 4 )

鮎解禁になり明け方早く勇んで出掛ける様子が「躍る簑笠」に表現されている。

鮎解禁日となると、場所取りで夜が明ける前から河筋は釣師で賑わう。上五中七の措辞が解禁日の様子を上手く表現している。 ( 写心 )

鮎の解禁を待ちわびた釣り人の生き生きとした雰囲気が感じられます。 ( 霧島 )

鮎の解禁を心待ちにしていた、釣り人のはやる心が見えるようです ( 一歩 )

待ちに待った時期。釣りともの高揚した景が浮かんできます。 ( 悠々 )

白無垢のうしろ姿や桐の花

霧島 ( 3 )

婚礼衣装の白無垢の列と、それを見送る屋敷の桐の花の取り合わせは響き合う。 昔は娘が生まれると桐の木をうえる風習があった。

白無垢の花嫁衣装は未だ生きているのでしょうか? 既に死語でなければ良いのですが。 ( 悠々 )

嫁ぐ愛娘に対する言葉にはできぬ父親の気持ちが滲んでいます。うしろ姿に愛惜の情があり、桐の花の清楚な感じと響き合います。 ( 愚者 )

天上に数多の句友桐の花

三里 ( 0 )

永年俳句をやっていると逝去された師もあり句友もあり、折に触れて思い出すものである。紫色の美しい桐の花は、空高く咲き鎮魂の想いを託すのにふさわしい。

堰超ゆる鮎光りけり河原風

葫蘆 ( 2 )

川を上る鮎が跳ねて堰を越える時、鱗がきらりと光る。躍動する鮎の命の営みである。

活き活きと跳ねながら、堰を超えていく鮎の姿を光と表現された、勢いのある句。 ( 一歩 )

選者のワンポイントアドバイス

4.うなじ悲しく喪服の紋の桐の花
この句の桐の花は、喪服の紋であり実際の桐の花でないので、季語と見做されません。
桐の葉や花をかたどった紋所があり桐紋とも言います。「悲しく」迄言わない方が良いでし
ょう。(参考例は、原句を生かして。)
参考例  桐紋の喪服のうなじ百合の花

15.手のひらに小宇宙かな青りんご
「かな」は、終助詞で詠嘆の意を表します。下五の最後に使うことで効果を発揮します。
句の途中でなく最後に使うのが良いでしょう。 この句の場合単純に「ある」としてみます。
参考例  青りんご手の平にある小宇宙
     手の平に青りんごある小宇宙

16.通り過ぎ戻りて見あぐ桐の花
口語動詞「見上げる」は、文語動詞「見あぐ」で、下二段活用です、「見あぐ」は終止形で、
切れてしまいます。桐の花に繋げる為に連体形とします。連体形は、「見あぐる」です。
「戻りて見あぐる」は、中八で語呂が悪いので、「戻り見あぐる」とします。
参考例  通り過ぎ戻り見あぐる桐の花
     詳しくは「爽樹テキスト文語文法」参照ください。

互選句 11 句

盃巡るジュッと弾ける串の鮎

写心 ( 1 )

鮎の炉端焼きの臨場感に溢れ、笑いの渦と香ばしい匂に引き込まれます。口語体の句としていただきました。 ( 愚者 )

八ヶ岳眉毛に初夏の牧場風

一陽 ( 5 )

高原の牧場を眺める大きな景。 その清々しさを。眉毛という小さなものに感じたという措辞に巧みさを感じる。 ( 写心 )

信州の高原の牧場を吹き抜く爽やかな夏の風。 ( 夜来香 )

眉毛で風を感じるとはかなり眉毛の長い人ですね。八ヶ岳の牧場風が 牧歌的で清々しいです。 ( 霧島 )

眉毛に牧場風を感じるというとらえ方が良いと思われ、いただきました。 ( 葫蘆 )

桐の花ゆかしき師家(しけ)の庵訪ふ

夜来香 ( 5 )

薄紫色の桐の花は、高く咲く高尚な印象の花であり、尊敬する師を見上げることに通じる。季語桐の花と師との取り合せで、作者の師への思いが深く伝わってくる。 ( 写心 )

格調高い句です。良寛さんを貞心尼が訪ねた時の情景でしょうか。 ( 悠々 )

高徳の禅僧を訪れ、その謦咳に触れれば何かしら得るものがあります。神聖な桐の花との取合せが良い。 ( 愚者 )

未だ白き飛騨の山山鮎の宿

山水 ( 3 )

夏でも残雪がある飛騨山脈。飛騨山脈を遠くに見ながら鮎釣りして一泊、二泊といった感じでしょうか。 ( 霧島 )

雄大で荘厳な景観と鄙びた宿の取合せが絶妙。 ( 愚者 )

山深き落人の里桐さけり

一歩 ( 1 )

速達の名前滲みて走り梅雨

霧島 ( 3 )

封筒の文字が雨で滲んでいるということはよくあることである。日常のさりげない出来事を伝えて奥が深い。速達の中身は吉なのか凶なのか、いろいろ想像させられる。 ( 写心 )

宛名の滲む速達にただならぬ気配。 ( 夜来香 )

確かに。梅雨時の宛名は万年筆でなくて油性ボールペンを使用しなければなりません。 ( 悠々 )

平凡の生に悔いなし山法師

愚者 ( 1 )

平凡だが悔いの無い生と山法師のとりあわせが良く、いただきました。 ( 葫蘆 )

妖精のドレスの如きレース編む

三里 ( 1 )

夢の世界に浸りながら好きなレース編みに没頭している。涼やかな至福のひととき。 ( 愚者 )

香ばしき苦みまた良し鮎の宿

三里 ( 1 )

鮎の苦味を賞味できるようになれば大人であると教わりました。 ( 夜来香 )

桐の花日ごと深まる山の青

葫蘆 ( 1 )

青々と夏現るる四方の山

葫蘆 ( 2 )

登山に行った作者。登攀中、段々に周囲の緑色の山が目に飛び込んでくる。そのことに、豊饒の夏を感じた。「夏現るる」の措辞が良い。 ( 山水 )

生き生きとした、初夏の緑のやまなみが広がって行く景が見える様です。 ( 一歩 )