爽樹インターネット句会
第34回 鑑賞・選評 2019年5月
爽樹俳句会 顧問 半田卓郎
令和元年それぞれの感慨も新たに迎えられたことと思います。10日間の特大の連休も終わり季節は早くも晩春から初夏へと移り変りつつあります。当月の兼題「汐干狩」「茶摘」は、この時期にタイムリーな季語でそれぞれに思いの溢れた佳句が寄せられました。
兼題 : 汐干狩、茶摘、当季雑詠
特選 3 句
潮干狩子の初めての水平線
葫蘆 ( 0 )
潮干狩の海浜の大きな景、幼い子が初めて眺める広々とした浜辺と遙かな地平線。親は子に遙かな水平線の彼方のことを話し聞かせている。この日の思い出は、幼子の記憶に残る心象風景に違いない。中七の措辞から人は色々のことを思う。俳句はこのように省略を聞かせ読者の想像力に訴えるのが佳句である。
富士望む武蔵野の丘茶摘み歌
葫蘆 ( 0 )
武蔵野という言葉から、国木田独歩の「武蔵野」を思う。国木田独歩は、「生活と自然がこのように密着しているところがどこにあるか」といい、「常に自然を通じて人生を、また人間を通じて自然を見、その奥に広がる世界を感じとった。」 東京の西部、埼玉はまさに武蔵野である。来年オープンする東所沢の、「かどかわさくらタウン」を契機として「武蔵野学」が見直されている。掲句は、こうした背景を踏まえて、眼前の見渡す限り続く茶畑の畝と遠景の富士山、更に伝統のある新茶祭りを巧みに詠み込んでいる佳句である。
古民家の馬無き馬屋の春の闇
夜来香 ( 0 )
保存されている古民家を訪れて、昔を偲ぶ経験を持つ人は多い。特に地方出身の人は、若い頃の実体験として懐かしく思うものである。又、芭蕉の句に、「馬の尿(しと)の跡」の句があり、俳句を学んだ人は通常古民家の土間に馬屋があることは理解されている。掲句は、季語「春の闇」のもつ奥行きのある内容が、冬から解放されて、闇にも心を開く春の感覚、闇の奥にうごめく生命力を感ずる。 適切な季語の取り合わせである。
秀逸選 7 句
八十と十八並び茶摘みかな
真珠 ( 0 )
祖母と孫であろうか、茶摘みの手順を教えられている様子が微笑ましい。言葉あそびのように表現されているのも良い。
この浦はむかし軍港汐干狩
夜来香 ( 0 )
平和な、汐干狩りの浜辺の景と一昔前は軍港であったという歴史を話聞かせている作者がいる。忘れてはならない過去を伝えるのも役割である。
行く春や五重の塔の宙青し
一歩 ( 0 )
五重の塔のある景、由緒ある古刹である。蒼く澄んだ虚空に感ずる春の情感を詠まれており「行く春」へ思いがにじむ。
潮干狩り磯の香満つる夕電車
写心 ( 0 )
潮干狩りの帰路、草臥れた家族が乗車している。家族皆で取り集めた貝の磯の香りに着目した。
収穫の浅蜊のバケツ呟きぬ
鈴音 ( 0 )
潮干狩りの収穫の浅蜊が、潮を吹くのであろう何か音がする。呟くと言う表現に、諧謔味がある。
茶摘み終へ辿る家路の茜雲
写心 ( 0 )
五月の初めに、各地で茶摘み祭りが行われている。茶摘みから、茶の製造工程の見学、茶の味くらべ、など盛りだくさんの催しである。
終活てふ過ぎし佳き日の春ショール
深山苧環 ( 0 )
就職活動の就活が主であったが、高齢化社会の昨今終活という言葉は定着した。古い品物をかたづけるのは思い出があり、中々はかどらない。懐かしい思い出のショールは、捨てきれないのである。中七の措辞に思いが深い佳句である。
選者のワンポイントアドバイス
季重なりに注意
一句の中に季語が二つ以上入ることを「季重なり」と言います。(下記の句のアンダーライン参照) 季重なりは、季語と季語が干渉し合い、一句のイメージが散漫となって読者の印象が薄くなるきらいがあります。
初心者は、歳時記で確認して、一句一季語により作句するようにしましょう。
「小さき手にあさり一粒汐干狩」
添削例:小さき手にあさり一粒握りしむ
添削例:小さき手に浅蜊の舌の触れにけり
「茶摘み唄種蒔く畑に影二つ」
添削例:茶摘み唄畝のあはひに影二つ
季語は、一句に一つであるべきで、特に初心者は原則としてそのように作句することとしております。しかしながら、名句の中に季重なりの句もあります。また実際の句作りではどうしても二つ以上の、季語を詠み込む場合があります。こうした場合二つ以上の季語が邪魔し合わない工夫をした上で使用されております。